理学療法士には軸がない。だからブレてブレて悩みつづける。


理学療法士として働いていた若い頃は、マッサージやストレッチをしている自分が、理学療法士である独自性を見出せないでいた。

俺はマッサージ師じゃない!
俺はトレーナーじゃない!

俺は理学療法士だ!
だけど何が出来るの?

そんな風に自問しても答えなんて持ってなかった。

自分に自信を持つため、カイロプラクティックを学んでみるとこれが面白い。
出来なかったことが出来るようになる。技を増やす快感にますますカイロプラクティックにハマっていった。

カイロプラクティックを本気で学んでみると「技」だけではないことが分かった。

むしろ大事なことはそんな事ではなかった。

カイロプラクティックには三本柱がある。
【サイエンス】
【アート】
【フィロソフィー(哲学)】

【サイエンス】は時代とともに変わる。
【アート】は人により変わる。
【フィロソフィー】は、時代にも人にも左右されない不変のものである。
                                              京都 哲学の道

これがカイロプラクティックの核となる。

つまり理学療法士がブレブレで軸がないのは、【哲学】が無いからだ。

だから「治せる理学療法士になる!」なんてトンチンカンな事を口走るのである。

リハビリテーションチームの中で理学療法士が、「治せる理学療法士になる!」なんて言ったらドクターはクビを捻るだろう。

「治せる看護士になる!」なんて言ったら、さすがに理学療法士でもクビを捻るだろう。

だけど理学療法士の中には、そんな事を言ってしまう者が実際にいるのである。

大きな勘違い…

治る…治らない…は神や仏の領域である。

カイロプラクティックでは、この自然治癒力をイネイトインテリジェンスと言う。

何か偉大な力が働くのである。

村上和雄氏はサムシンググレートと呼んだ。

セラピストは神や仏ではない。もうちょっと謙虚でなければならない。

理学療法とは何なのか?
誰を対象とするのか?
そして何を目的に何をするのか?
その考え方の背景にあるものは何なのか?

また病気とは何なのか?
障害とは何なのか?
健康とは何なのか?
生きるとは何なのか?

そういった哲学の部分が、理学療法を生業とする理学療法士には圧倒的に足りない。

中医学やカイロプラクティックには哲学があるが、理学療法には哲学がない。

それともう一点…

鍼灸師は鍼と灸、マッサージ師にはマッサージ、カイロプラクターにはカイロプラクティックがあるように、それぞれの職業に一言で分かる技がある。

しかし理学療法士には、一言で職業を代表する技がない。

そう技がないのである。

そのうえ哲学もない…

そんな状況で「軸」を持つなんて、とっても難しいとしか言いようがない。

理学療法士にあるのは「コンセプト」だけである。



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