病院に行って歳のせいにされるほど情けないことないですよね…
多くの医療従事者によって、「齢のせいですね!」というデリカシーのないしかも根拠もない発言で多くの患者さんを傷つけている。
例えば膝の痛みを抱える患者さんは軟骨がすり減って痛い、しかも骨と骨が衝突して痛い、齢だから仕方ないなんて言われ、それを信じている。
しかし軟骨は痛みを起こさないし、ましてや膝の関節の中にはクッションである半月板が存在することを患者さんに告げると本当にビックリされる。半月板はへたることはあっても、勝手に消滅するなんてことは聞いたことがない。
でも確かに高齢者はあちこと痛いと訴える。
現代西洋医学では齢のせいにしている訳ではないと思う。現場の医療従事者がもっともらしい理屈をつけて勝手に言ってるだけだろう。
人は齢を重ねると様々な経験を経て多くの感情が積み重なる。
これらの感情は表現され表に出ていけば良いが、抑圧され体内に感情が蓄積されると様々な症状が起こると考えられる。
子供は思い切り感情を表現するが、大人はなかなかそうはいかない。
感情はまず最初に横隔膜にくる。ここからの感情の行先はまずは4つである。
①上に行き泣いたり、怒ったりして表へ出ていく。
②下へ行き排泄物とともに表へ出ていく。
③とりあえずいったん肝臓でプールされる。
④横隔膜にひっかかったままそこに留まる。
①②は問題ない。
④はよろしくない。
③は葬式の喪主などで今は泣いている暇などないなどという状況で、それらの抑圧された感情がいったん肝臓でプールされ後で処理しようとするのだが、大概は処理されず肝臓の許容量を超えると体のあちらこちらに分配される。
この時様々な感情はだいたい特定の場所に行く。たとえば悲しみは肩というように。。。
だから齢とともに抑圧され蓄積された感情があちこちに分配されたときに、人の体は痛みを起こし警告を発するのだろう。
間違えてはいけないのが、この警告は痛みを消すことが重要なのではなく、痛みを起こした特定の部位が抱えた感情の癖を知ることによって、自分はこんな風に感じていたのかと抑圧してしまっていた感情を再確認することが重要なのだ。
私は恨みばかり貯めていた。
私は怒りばかり我慢していた。。。などなど
それを知ることで、痛みや不調は人生を豊かに変化させる機会と捉えることができる。
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