理学療法士の本来の領分とは?


先日薬師寺に行ってきました。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、衆生の病苦を救うとされているため医薬の仏と言われています。

私の家から車で30分足らずで薬師如来が御本尊である法相宗大本山薬師寺があります。

薬師寺は天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し造営させたものです。

考えてみれば白鳳時代には病院も医者もなかったわけですから、人々の病気に対する恐怖というのは、死に直結する本当に恐ろしいものだったと思われます。

時の天皇が皇后の病気を治すために、お寺を作ったくらいですから、衆生も本気の本気でお寺あるいは御本尊に病気平癒を頼ったものと想像出来ます。

人々が1300年以上本気で願い続けた、病気を治して下さいという"思い"は確かに在り、それを馬鹿には出来ないし、私も本気でその"思い"というパワーを信じています。

現に薬師寺の薬師如来さんにお願いをして、私の幼なじみの膵臓のデキモノを消し去って頂きました。あれから7年。彼はフルマラソンを走るほどになりました。

21歳から48歳の現在までセラピストとして働いてきて、今現在思い至ったことは「セラピストは病気を治さない」ということです。

例えば医者が死んだ人の傷と生きた人の傷を縫い合わせたとしたら、その傷が塞がるのは生きた人の方で死んだ人の傷は塞がりません。

医者が行った行為は同じなのにです。
つまり医者は治していません。
縫うという作業をしただけです。

治ったのは生きた人間の持つ自然の治癒力です。

治す、治さないは神や仏の領域だと思っていす。

心身の健康を考える時、理学療法士は「身」の健康しか頭にないように思えます。「心」のほうはスッカリ抜け落ちているように思います。

治癒力という目に見えないものを求める時、目に見える「身」だけを考慮にいれるだけでは完全ではなく、目に見えない「心」も同時に患者とセラピスト双方に求められるのではないかと思います。

理学療法士の世界では、最近手技療法花盛りで、治せる理学療法士を目指している人が多いように思います。

上に書いた理由で、理学療法士は「治す」なんて領域に立ち入らなくても良いと思います。そこは神や仏に任せて、本来の業務にもう一度立ち戻らなくてはいけないのではないかと思います。

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