何を学びどこを目指せば良いのか分からない(>_<)
セミナーで出会う多くの理学療法士や作業療法士たちが、何を学べばいいのか?どこを目指せばいいのか?分からないと言う。
たくさん学べば学ぶほど分からなくなると言う。
私の場合は本当に沢山のものを学んできた。
理学療法、神経学、カイロプラクティック、感情治療、エネルギーワーク、キネシオロジー、スポーツ医学、ファンクショナルトレーニング、耳つぼ、アレルギー治療、自己免疫疾患の治療など…
だけどある時あれもこれも学ぶのを辞めた。
それは、例えて言うなら自分が持っている素材が大理石だと思っていたのだが、ある時「木」だということに気がついたからだ。
ロダンのような彫刻を作りたいと思っていて、硬い大理石を削るため強力なハンマードリルや電動研削機などを集めていたが、実は自分の持っている素材が大理石ではなく木なのでそんなものは要らないと分かったのである。
ここで言う「大理石」や「木」は自分の持っている素材つまり自分自身の人間性である。
別の言い方をすれば、もし自分が画家で生まれながら持っている素材が4色の絵の具だったりまた別の人は12色のクレパスを持っていたり、周囲を見渡すと48色の色鉛筆を持っている人がいたりはたまた黒い鉛筆一本しか持っていない人もいたりする。
4色の絵の具しか持ってないからと悲観する必要はない。
また他の色の絵の具をあてもなく探し続ける旅に出なくても良い。
自分の4色の絵の具で工夫すれば様々な可能性が広がる事に気づかなければいけない。
たとえ黒い鉛筆一本しか持ってなくても、それだけで素晴らしい作品を作ることも可能である。
自分の持っている素材つまり自分という人間を知ることから始まる。
しかし桃の中の虫は桃を知っているが、自分の桃がどの辺にあるのかも分からないのである。
となりの桃を見て、私もあのくらいの大きさであれくらい熟していると思うけど、実はよく分からないのである。
よく分からないうちに、また思い違いをしているのに気がつかないうちに、作品作りを始めなければならないから困るのである。
自分の素材を知るためには、人との関わりを持ち、社会との関わりを持ち、人の意見を聞きながら良く考察を続けなければならない。
自分の素材を知った上で、それを活かす技能を身につけなければまた先へは進まない。
そもそも何を表現したいか?それも分かってなくてはいけない。
自分という素材を知り、素材を活かす技能を学ぶこと。
そしてそれからこの人生で何を表現するのかを考えなくてはならない。
それが分かっていよいよ表現を初めても色んな妨害、邪魔が入る。
それに屈しない勇気も必要だ。
私の学んだカイロプラクティックやその他の技能は、多くのの理学療法士はそんなもの要らないだろう!邪道だ!とけなし、もし私が若くてそんな上司の下にいたら表現を邪魔されるかもしれない。
それでも勇気を持って自分の表現を続けるのである。
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