何もしない治療家。これ目標です!
大人になるとうっかりしていると、知らぬ間に時間が過ぎてしまう。
学生なら学年が変わるという区切りが一応あり、2年生になった、3年生になった、高校生になった、大学生になったなどの喜びがある。
しかし、社会に出ると本当に何もないまま何年も過ぎ、あれ、俺は何を成し遂げたかなと思うても何もないなんてことが多い。
私の場合は、21歳で理学療法士になり、28歳までぼーっと過ごした。
プライベートでは結婚したりあったが、仕事の面では何も成長が感じられなかった。
そこで、思い切ってカイロプラクティックのセミナーに参加した。
すると、非常に楽しかった。
出来なかった技が出来るようになり、それが次々増えるとますます楽しかった。
何か自分が成長してるという実感を感じることが出来た。
その後、カイロプラクティックを通じて様々な技を学び、このままでは中途半端だと思いカイロの大学に進学して学位を得ることができた。
しかし、大学の時はまったく楽しくなかった。
今まで楽しかった技の習得が楽しくなくなった。
先日人と話していて、自分の言葉にはっとした。
私はこう言ったのだ。
「もっと人の人生に関わりたい」と。。。
硬い関節を見つけて、ボキッとアジャストして、痛みが楽になって、はい終わりでは面白くなかったのだ。
ボキッ!
どや!(関西弁どんなもんだ!)
の繰り返し。
私は、関節が硬くなる原因が知りたかった。
カイロではサブラクセーションが原因、それをアジャストするから、カイロは原因に治療しているなんて言われても納得できなかった。
私の目指す究極の治療家像は、何もしないで治す。
そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、本気で考えている。
そう考えると、技の習得に明け暮れるのがバカバカしくなったのだ。
患者の人生を見つめ、不調の原因を探り、そこにアプローチし、患者の人生がポジティブに変わることが出来たら良い。
習得が大変で、極めなければならない技でなければなお良い。
患者の人生にポジティブな変化を起こすのに、習得するのに時間の掛かる技をいくつも身に付けなくても良いのではないかと最近では本気で考えている。
先日名古屋で行った神経学セミナーで受講生の1人が言いました。
「今までは触るということが前提で、触らないで良くなるなんて全く考えになかった」
そうなんです。神経学を学ぶとアプローチは、触れる以外の選択肢が出てきます。
神経学セミナー翌日のビジュアルリフレーミングセミナーももはや触らないで変化を起こすセッションです。
神経学セミナーでは、触らないで身体に変化を起こします。
ビジュアルリフレーミングでは、触らないで感じ方に変化を起こします。
以前「何もしないで治す」と漠然と思ってたものが、なんとなく形になってきている。
「何もしない」の形…
なんか矛盾しているようで面白い。
0コメント