治療の軸を持ちたい!…という間違い。やり方より在り方が大事という話。
第2期「カイロリハ」コースでも、「自分には治療の軸がない。だから治療の軸を作りたい」という本当に切実な声がありました。
こういった声は第1期でもありました。
もちろん僕も若いときそう思いました。
でもね、持つべきは「治療の軸」ではないんです。
治療技術というのは、時代とともに変化するからです。
持つべきものは「治療の軸」ではなく、セラピストとしてのフィロソフィー(哲学)です。
そのフィロソフィーが軸になるんです。
理学療法士や柔道整復師には難しいです。
なぜなら予めフィロソフィーが用意されてないからです。
カイロプラクティックや鍼灸などの中医学には、フィロソフィーがあります。
だからブレないんです。
理学療法や整復にフィロソフィーがない以上、個人的に自分の仕事のフィロソフィーを持つべきです。
決して「治療技術の軸」を手に入れると、もうブレないという事はありません。
1つの治療技術で、人間の全てをカバー出来る訳がありません。
1つの治療技術を極めるんだと言って、他のものに目を向けないのは、個人的に怠慢だと思ってます。
だからと言って1人で持てる「武器」には、限りがあります。
フィロソフィーが決まれば、持つべき武器そして持たなくてもよい武器を選択できるようになります。
ちなみに僕のセラピストとしてのフィロソフィーは「患者さんと患者さんの家族が、人生をポジティブに変化させること」です。
このフィロソフィーを実現させるための武器が僕には必要なんです。
そしてその前提としての僕は、理学療法士でありカイロプラクターなのです。
だから患者さんの人生をポジティブにさせるためだからと言って落語を学ばないのです。
落語だって誰かの人生をポジティブに変化させることは出来ます。
占いだってそうです。
自分は何者で、どんなフィロソフィーを持つのか?
これが軸です。
治療技術の軸を求めても、いつまでもブレは収まりませんよ。
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